私たちの浄土真宗のみ教えには,次の三つの要があります。

@他力本願
この言葉は世間では,他人の力を当てにして自分の願い事をかなえるという怠け者の代名詞のように使われていますが,本来の意味は全く違うのであります。

他とは仏さまのことで,仏さまにお願いするのではなく,仏さまから願われているということです。

宗教とは無病息災,商売繁盛,入試合格など自分の欲を満たすために願かけをすることと思っている人が多いようです。

浄土真宗の御開山親鸞聖人は,このような宗教はにせものであると言われました。

私達のお寺には,お札,お守り,おみくじなどはありません。

人の欲は際限がありませんし,誰しも人生はいつどんなことかあるか分かりませんので,他人と比べて自分がどれだけ欲を満たしているかを幸せの判定基準にすることはできません。

私達の本当の幸せは仏さまの願いにおまかせし,安心して生かしていただくことと思います。

無条件に先回りして案じていてくださる仏さまのお心を,親心にた
とえられます。


A悪人正機
この言葉も世間では,悪いことをした者でも救われるという間違った意味で使われています。

宗教での悪人とは,法律や道徳でいう悪人と違い,自分の本当の心の姿に気づいた人のことで,善人とはまだ気づいていない人のことです。

歎異抄の
「善人なおもって往生をとぐ,いわんや悪人おや」
という親鸞聖人のお言葉も宗教でいう善人,悪人の意味であります。

浄土真宗は聞く宗教で,お寺は聞法の道場といわれています。
聞くとは,我欲のかたまりでしかない,何ともおはずかしい,どうにもならない自分の本当の心の姿に気づかされ,こんな私を救いの目当てと誓われる仏さまのお心に遇わせていただくことです。

私達にとって,大事なのは知識や能力ではなく,謙虚で素直な心だと思います。

他人を責めたり裁いたりできるような自分ではありません。
最も恐ろしいのは慢心であります。


B往生浄土
往生とは本来死ぬということではなく,生まれていくという意味で,お浄土といわれる仏さまの世界へ生まれさせていただくことであります。

命は一瞬先の保証もないのですから,このことなしにはいつでも不安でたまらないはずです。

お葬式は,故人が自らの死により遺族をはじめ生き残ったものたちに,その悲しみを縁としてこの往生浄土の意味を教えて下さる貴重な行事であります。

それを社交の場と思い,喪主や遺族の方が始終会葬者に向かって挨拶をしておられることがありますが,これはもったいないことで,故人も悲しんでおられるような気がします。

誰しも死を目前にしますと,日頃求めたりこだわったりしている物事はどうでもよく,私はどこに行くのかということだけが問題になると思います。

いいかえれば,いのちのよりどころさえはっきりしていれば安心で,後は自分なりに仏さまへの報恩感謝の舞台として,この人生を生かしていただければよいと思います。

浄土真宗のみ教え