私は今六十二歳です。中学一年の時,終戦になりました。
当時日本中が貧乏のどん底で,特に食べるものがなくていつも空腹でした。
私はニワトリを何羽も飼い,お寺の境内の大部分を開墾しました。
学校から帰るとニワトリに水をやり,畑仕事をし,まき割りや井戸水汲みをするのが日課でした。
日曜は,朝,本堂や境内の掃除をした後,自転車で何キロも離れた農家へ行き,物々交換で芋やかぼちゃをもらい,夕刻帰宅していました。
空腹に耐えながらのそのような生活でも,元気に明るく,誰とも仲良く過ごしていました。
ある時食べるものが無く,私がぬかを食べようといいました。
ニワトリがあんなにおいしそうに食べているのだからと主張したのです。
ぬかで小さいだんごを沢山つくり,フライパンに油をひいてそれらをいためました。
一人五つづつ,いつものように平等に分配しました。
いざ口に入れましたところ,ウッと吐き出しそうになりました。
こんなにまずいとは思いませんでした。
父を見たらもう全部食べていました。
私は夢中になって五つとも飲みこみました。
誰もまずいと言わずに全部食べました。
ぬかを食べたのは最初で最後でしたが,大変懐かしい思い出です。
あの頃は食べ物について,おいしいとかまずいとかほとんど言わず,何でもありがたくいただいていたように思います。
現在はどうでしょう。
すぐにおいしいとかまずいとか,どこそこのレストランが良いとか悪いとか言います。
飽食に明け暮れ,食べ物を全く粗末にしています。
物が豊かになると心が貧しくなるということわざは,本当にそうだと思います。
貧しいとは,浅くて狭いことだと思います。
浅いとは,物事を深く考えず,感覚的であるということです。
楽しければそれでよいといいますが,それは空しさをごまかしているように思われます。
謙虚に自己を見つめることもなく,表面を取り繕ってばかりいます。
何かのショックを受けるとカッとなりやすく,衝動的な言動を示し,暴力や自殺に及ぶこともあります。
一方狭いとは,自己中心的であることです。わがまま勝手で,周りの人への思いやり,暖かさや優しさに乏しく,傲慢に自我を主張して,人や物事をよく裁きます。
宗教といえば我欲を満たす手段としか考えません。
近頃次々に起こる事件や社会問題は,このような心の貧しさに起因するように思うのです。
戦後五十三年半,日本は貧乏のどん底から世界一の経済大国になりました。
我欲を満たすことだけを幸せと思い,そのための手段として,能力,財産,地位などを身につけることばかりに夢中になり,競い合ってきました。
心を育てることを忘れてきたのです。
これからの世の中は,心が豊かになって欲しいと願っております。
ぬかだんご