私は生まれる前はどこにいたのだろうか,そして死んだらどこへいくのだろうかと思わない人はいないでしょう。
このことがはっきりしませんと,行先不明の電車に乗っているようなもので,毎日が不安でたまらないはずであります。

私達の生命は科学の力では解りません。
浄土真宗のみ教えによれば,私達は誰しも御本尊阿弥陀如来よりこの生命をいただいたのであり,今日もよくぞ生かされているのであり,いつか必ずまた仏さまの国(お浄土)へ還らせていただける(往生)のであります。

そういえば生まれようと思って生まれてきた人はいませんし,母親の胎内にいるときからもう心臓が動いてくれています。

亡くなられた方々は皆お浄土で仏さまになられ,生き残っている私達をいつでもどこでも見守り,お浄土へ必ず救いとって下さる阿弥陀如来のお心をとりついで下さっているのであります。

仏教を初めて説かれたお釈迦さまは,インドの釈迦という国の王子さまでした。
生来まれに見る知能や体力に恵まれ,地位や財産が約束され,欲しいものもしたいことも思いのままで,若くして素敵な奥様をもらわれ,かわいい男の子がおできになりました。

誰の目にもこれほど幸せな方はないように思えますが,お釈迦さまは生命のよりどころ,すなわち老病死の解決なしには全ては空しいと,地位も財産も妻子も全部捨てて出家されたのです。

そして欲を満たすためではなく,仏さまの国への道中として,阿弥陀如来の南無阿弥陀仏のお心をよりどころに生きることこそ正しい人生であると覚せられたのであります。

人生長くても短くても,どんな死に方でも,能力や性格や境遇がどうであろうとも,誰しも一切平等に仏様の国へ還らせていただくのであります。
これほどの安心と歓びはありません。

私達はどれほど欲を満たしたかにより,良かった悪かった,立派だ駄目だ,うらやましいかわいそうなどと評価し,こだわっておりますが,それらはどうでもよいことのようで,ただいただいた人生をそれなりに精一杯南無阿弥陀仏のお心をよりどころに生きたいものです。

ある死刑囚の刑が執行されたとき,その教誨師が
「死ぬんじゃないよ,お浄土へ生まれていくんだよ」
と叫んだということです。
生命のよりどころがなければ,人生は何と空しいことでありましょう。




往生浄土