狸のお寺
  
私が住職をしておりますお寺は,
野口雨情作詞,中山晋平作曲の童謡「証城寺の狸ばやし」で知られ,
境内には狸塚や童謡碑が建てられ,生きた狸を飼っています。
(注:現在はいません。)

観光客が多く,また毎年秋の狸祭りには市長などのお偉方も列席されます。

私はこれらの方々にいろいろ狸にちなんだ法話をしており,そのいくつかを紹介させていただきます。


『このお寺の住職がある秋のこと,大小百匹ばかりの狸と一緒に

「証城寺のペンペコペン,おいらの友だちゃドンドコドン」

と繰り返し歌いながら,幾晩も楽しく踊り明かしたという江戸時代からの伝説は,
本当のお寺や住職のあり方を教えてくれていると思います。

浄土真宗では僧侶も一般の人も,身分や人柄も問わず,
全ての人は仏様のお慈悲の中にあって一切平等であり,お互いに同朋であると申します。

そしてお寺は誰しもが一緒にみ教えを聞き,
仏様のお慈悲を喜ぶあまり歌ったり踊ったりもする所なのです。』


『狸は本当に化けるのでしょうか?

もう40年も飼っていますが,一度も化けたことはございません。

私は狸も狐も化けないと思っています。

世の中で化ける動物は人間だけです。

お化粧をしたりお洒落をしたり,自分をより良く見せるためにいろいろ格好をつけて言ったりやったりします。

このように化け続けていますと,化けた自分の姿を本当の自分の姿と自惚れるようになります。

地位も名誉も化けの皮です。

お寺は,み教えを聞くことにより,化けの皮が全部はがされて,
本当の自分の姿に気付かせていただき,
このような自分こそ仏様のお救いのお目当てであることを分からせていただくところです。

化ける人間が,化けない狸を化けるといっては狸に失礼かと思います。』


『自分の欲望を満たすために,仏様を利用するものではありません。
このお寺は受験生がよくお参りにきます。
それは「たぬき」は「他を抜く」というごろあわせなのですが,ごろあわせを本気で信じるのは頭の働きがおかしいと思います。
たぬきも「他を抜くように」と祈られては,すっかり面食らって,
「人間とは何という強欲で身勝手な動物なのだろう。それにしてももっと頭の働きがよいと思っていたが,あきれたものだ」
と思っていることでしょう。』